【四天王寺】聖徳太子が創建した日本最古の官寺へ【大阪】

日本史で勉強した、あの場所へ「四天王寺」
大阪の中心地にある「四天王寺」。ここは「聖徳太子が創建した日本最古の官寺である」と、日本史のテスト対策で暗記した記憶がある。そして、日本最古の場であるならばいつか行ってみたい、と思いつつも行けずじまいで終わっていた場所のひとつだった。今回、大阪・関西万博からの帰り道に、ちょっとした偶然が重なって「四天王寺」へ、お参りすることができた。本来ならば、下調べをしてから行きたい場所ではあるが、いつだってチャンスはこんな風に突然やってくる。あたえられた時間はさほどない。ホテルをチェックアウトしたら、路面電車に乗って出発だ。
四天王寺は、聖徳太子が創建した日本最古の官寺である。建立は593年。つまり1400年以上も昔のことになる。1400年と書くのは簡単だが、そこには想像することすらできない時間の積み重ねがあるわけで「もっと私たちは、日本の文化に誇りを持つべきだと思います」と、中学生の作文に書かれるようなフレーズを頭の中で繰り返してみる。
私たちが訪問したのは、平日の午前中ということもあり、さほど参拝客は多くなかった。ざっと6割以上が海外からの観光客という印象。青空が広がり、日傘を差したくなる日差しではあるけれど、そこまで暑さが気になる気配ではない。ここは大阪市内であるが、静かな落ち着いた雰囲気だ。
五重塔の螺旋階段を、上がった先に
最初に目に飛び込んできたのが「五重塔」である。こちらの最上階には「仏舎利」が安置されていて、塔中の螺旋階段を上がり間近で拝むことができる。五階くらいならば余裕だろうと、意気揚々と上がり始めたものの最上階に到着した時には息が荒くなっていた。運動不足はよくない。50代だからと甘えずに、螺旋階段の五階くらいは楽勝で上がれるようになりたいと思う。せめて明日からは、エレベーターではなく階段を使う回数を増やそうと思う。
私たちと同じ観光客と思われる人たちが、螺旋階段を次から次へと上がってくるのだが、最上階に到着しても「やれやれ、これで到着か。さて降りるか」と、さっさと階段を降りてしまう。仏舎利が設置されている方へ視線を動かさない人も少なくない。
外国人の方が多かったので、ここに「仏舎利」が安置されていることに気がつかないのではないか、と想像する。そうであるならば「五重塔の階段は、なかなかキツかった」という感想で終わってしまうのではないか、と余計なことを考えつつ、仏舎利をお参りして階段を降りた。登りは大変だが、下りはあっという間に感じられる。人生とたぶん一緒だ。
聖徳太子は「十人の話を一度に聞いた」
境内をぐるりと回り、仏像を拝観させていただいたあと「太子殿(聖霊院)」へ向かう。こちらは「聖徳太子をお祀りしているお堂」なのだそう。小学生のころ「聖徳太子は、十人の話を一度に聞いた」というエピソードを知って「訓練すれば、人間はそのような能力を身につけられるのかもしれない」と、人間がもつ可能性に興奮したものだった。テレビを見ながら家族が話している会話に耳を傾けるトレーニングをしたような記憶もある。
そんな子供時代のことを思い出しながら、筒を脱ぎ正座をして手を合わせていると、よい香りが漂ってきた。それは、遠い昔つまり1000年以上前の気配を感じさせてくれるような、当時もこのような香りが漂っていたのではないか、と想像が広がるような香りだった。
太子殿内のお守り授与所で、デザインが気になった「番匠器手ぬぐい」を見ていると、受付の方に絵柄と背景について説明していただくことができた。妻が熱心にお話を聞いていて、もしも前世というものがあるとするならば、妻は宮大工の仕事をしていたのではないか、とふと考えたりする。そんな普段考えないようなことを、自然に考えてしまうような気配を感じる場だった。
太子香薫紙との、出会い
最後に「御朱印」をいただくことにする。ここで「太子香薫紙」を知った。受け取ってから香りを嗅ぐと、太子殿で目の前を吹き抜けていったものと同じ香りがした。心地よい気品が感じられる香りだと思った。自宅をこの香りで満たしたくなった。
残念ながら、しばらくすると「太子香薫紙」の香りは飛んでしまった。後日、似たような香りはないかと、お香の専門店へ行って相談したのだが「むずかしい」とのことだった。プルーストの「失われた時を求めて」のように、どこかでこの香りに触れることがあるのならば、今回の記憶が一瞬で蘇るかもしれない。その時を楽しみにしておこうと思う。
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