【大阪・関西万博の体験記】50代の私の場合(expo2025)
■ 万博に、行く気はなかった。の、だが。
大阪・関西万博(expo2025)へは、行く気がなかった。正確に書くと、興味はあるが移動時間や費用、そして混雑を考えると「行かなくてもいいか」と考えていた。仙台空港から苦手な飛行機に乗って関西国際空港へ。そこから電車を乗り換え、会場で長蛇の列に並ぶ。想像しただけで、ズシリと腰が重くなる。
「年齢を重ねると、人混みが苦手になる」と、どこかで目にしたことがあるが、確かにそうだと思う。20代の頃から「並ぶくらいなら、別のものを選ぶ」と主張してきたが、40代後半からその傾向はますます強くなり、パーソナルスペースも広くなってきた。つまり人が多いことが苦痛になりつつある。そんなわけで混雑が予想される万博行きは、検討することすらなかった。
しかし人間は矛盾を抱えた存在であり、人生は一瞬で変化する。
妻が「万博へいこう」と口にした。もちろん「絶対嫌だ!」と主張することもできる。しかし遺恨というやつは、その後しばらく続く。「あの時、ほんとうは行きたかった」と数年後に言われるほど、切ないことはない。友人・知人ならば、交流が途絶えることも珍しくないが、家族となると別だ。身近な相手ほど、丁寧に考えた方がいい。体験から学んだ処世術のひとつだ。
それに、そう。それに、妻の一言から「おそらくこれが私にとって、最初で最後の万博になるだろう。つまりこれが万博へ参加する『最後のチャンス』なのだ」という気持ちが生まれてしまったのだ。
人間は矛盾に満ちた存在であって、ささいなきっかけで思考の舵取りが大きく変化してしまう。気がつくと「1日だと何も出来ずに終わる可能性があるから、2日間行こう」と提案している自分がいた。つまり「最後」という言葉には、50代の人間を動かす充分な力が眠っている。
■ チケット代について
万博のチケット代についても、記録しておこう。基本は3種類。1)一日券(基本はこれ) 大人7.500円
2)平日券(平日のみ入場できる) 大人 6.000円
3)夜間券(17時以降に入場できる) 大人 3.700円
今回私たちは「一日券」と「夜間券」を一枚ずつ入手した。合計で1人あたり、11.200円。これに往復の飛行機代と交通費諸々、それに2泊分の宿泊費がプラスされる。さすがに、これだけの費用をかけて「行列に並んで終わり」にはしたくない。自然と気合(?)が入る。
もし、次に日本で万博が開催されるのが50年後と仮定するならば、万博のチケット代はどのくらいになるのだろう? 「50年前は、一日券が【大人7.500円】だって。安いね!」となるのだろうか。おそらく、その時私はこの世にはいないと思われるので、検証は次世代のみなさんに託します。よろしく頼む。
■ 「並ばない万博」はどこへ?
今回の大阪・関西万博では「並ばない万博」が掲げられていた。実は、私が最終的に万博への参加を決めたのは、このフレーズが要因のひとつであった。完全に並ばない事はないだろうけれども、ここまで主張しているのだから何か策があるのだろう、と楽観的に信じていた部分がある。しかしながら、この「並ばない万博」は、実現されることがなかった。とくに私たちが参加した9月後半は混雑がひどく、チケットを持っていても入場すらできない(入場規制)状況も発生した。 並ばない、以前に、並ぶことができない万博となっていた。
そのような状況であるからして、パビリオンの「事前予約」も、当然のように外れてしまった。予約受付開始時間の30分前から待機し、受付開始と同時にログインしたものの見事に弾かれ「順番待ち」の列に並ばされる。40分後にようやくログインできたと思いきや、当然のごとく予約枠は埋まってしまっている。
淡い期待はことごとく粉砕され、残されたチャンスは現地での「当日予約」のみ。期待してはいけない状況ではあるが、それでも希望があるから人間は生きていけるわけで「もしかしたら、当日予約であっさりとれてしまうかも」と望みを胸に出発することになった。なにせ、それなりに費用が発生しているのだ(←重要)
■ 飛行機が苦手、に共感してほしい
余談だが、 私は飛行機が苦手だ。初めて飛行機に乗った時から「これは自分には無理だ」と、理屈を越えた何かが悲鳴をあげていた。少年時代には「いつの日か、飛行機に乗れる時がくるのだろうか」と憧れを抱いていたのだが、実際には搭乗した瞬間から「早く降ろしてくれ!」と頭の中で懇願するほど馴染めない空間だった。それでも、何度か飛行機に乗れば慣れるだろう、と考えていた節もあった。習うより慣れろ、というではないか。いや、使い方が間違っていると思うが、そういうことだ。慣れてしまえば、おそらくきっと! しかしそれから数十年の時間が流れ、国内も海外も飛行機で移動してみたが、まるで慣れる気配がない。むしろ、苦手度が増してくるような気配すらある。「年齢を重ねると、人混み+飛行機が苦手になる」仮説を提唱したい。
知人に「飛行機が苦手だ」と漏らしたところ「なにが苦手なのですか?(情けない)」と、蔑むような視線で見られたこともある。「揺れるのが楽しいじゃないですか!」と、言われたこともある。なかなか共感してもらえない。
今回も、出発前から「あぁ、今回も飛行機か」と憂鬱な気持ちになっていた。もしも万博会場で予約が取れなかったら「予約が取れなかった。混雑にもまれて終わった。そして、やっぱり飛行機は苦手だ」という、わざわざ旅費をかけて切ない感想で終わってしまう可能性がある。しかしそれもまた人生なのだろうか、などと心構えをしつつ、仙台を出発したのだった
■ クライマックスは「予約が取れた」瞬間
結論から書くと、今回の万博のクライマックスは「当日予約が取れた瞬間」であった。2日間のうちそれぞれ1つずつ当日予約を確保することができた。スマホの画面に予約が取れたと表示された時、妻と私は「え?」「とれたの?」「本当に、とれてるの?」「で、これからどうすれば?」と、混乱してしまったほどだった。それと同時に「これで、今回の万博が無駄に終わらなかった」と、安堵の気持ちで満たされたのだった。あまりにも予約がとれなかったので、パビリオンへ向かう時も「本当に予約できたのか? エラーではないよな?」と不安を感じている自分がいた。予約の時間に受付へ行きQRコード提示し「はい、どうぞ!」と中に通してもらった時が、2度目のクライマックスだった。そして列に並びながら、ここにいるみなさんも私たちと同じように予約合戦を勝ち抜いたのだな、と妙な親近感を覚えたのであった。
■ 2日間で、どのくらい並んだのか?
ここまでの文章を読んだ方は、2日間でどのくらいの時間並んだのか、気になっているのではないだろうか。私の場合は合計で7時間ほどだと思う。もう少し正確に表現してみると、入場のためにゲート前で並んだのが2日間合計で約2時間。食事で並んだ時間が1時間。帰宅時に出口から地下鉄の駅まで並んだのが2時間。それに、パビリオン関係で2時間。合計で7時間というところだと思う。(妻は「フランス館」で2時間ほど並んだが、私は腰痛が心配だったので別行動をとった)その他の時間は、予約なしで並ばずに入れるパビリオンを見つけて飛び込んだり、大屋根リングを歩いたり、当日予約に奮闘したりした。万博会場は想像していたよりも広く感じられ、自分が今どこにいるのか、 この方向であっているのだろうか、と迷ってしまうこともあった。 さすがに2日間(正確には1.5日)では全体像を把握することもままならず、 5日ほど確保してゆっくりと会場を歩いてみたかったと思う。
ちなみにトイレ関係は(男子用の場合)わりと空いていて、並ぶ事はなかった。時折満員電車レベルで道が混雑し息苦しく感じた場面もあったのだが、それぞれがマナーを守って参加している印象を受けた。少なくとも私たちは特に不快な思いをすることもなく、これだけの人数が密集しているところで、 大きなトラブルに遭遇することがなかったのは良かったことだと感じている。
■ ミャクミャクが、教えてくれたもの
万博の公式キャラクターである、ミャクミャクについても書いておこう。ミャクミャクが発表になった時、ある女子高生に「あれ見ました? 気持ち悪くないですか?」と言われたことを覚えている。私の周囲でも、おおかた不評だったような印象がある。ところが、万博が始まるとミャクミャクの人気が爆発したのだった。万博のオフィシャルストアには長蛇の列ができていて、みんなが競うようにカゴの中にグッズを入れていた。妻も「キーホルダー」を購入してリュックにぶら下げていたのだが、それを見たお店の人達などから「万博に行かれたのですか?」「混雑しませんでした?」などと話しかけられていた。ちょっとしたコミュニケーションツールである。
おそらく、これからミャクミャクを見るたびに「最初は、ちょっとアレだったのにね」と、思い出すだろう。そして「人間の心は予測不可能である」と、その不可解さをしみじみと感じるだろうと思う。ミャクミャクには、そんなことを教えてもらったような気がする。
■ 腰痛! 歩くのがつらい!
そう、 個人的なトラブルについても記録しておこう。タイトルにもある通り一日目の夜、つまり会場を出たあたりから、腰に違和感が発生していた。万博会場では、椅子などに座ることなく立ったままだったので疲労が溜まっていたのかもしれない。さらに、会場から地下鉄の駅まで1時間ほど並ばなければいけなかったこと、帰りの満員電車で不自然な体勢のまま立ち続けたことで、腰が悲鳴をあげてしまったのだった。
もともと私は、腰痛持ちというわけではない。登山のように、長時間重い荷物を背負って歩いた日の夜などは、多少痛みや苦しみを感じる事はあったものの、歩けなくなるほど痛いと感じる経験をしたことはなかった。ところが今回は、階段を降りるのはもちろん、足を前に運ぶだけで腰に痛みが走ってしまった。うぐっ、と 声にならない声が出てしまい、横に妻がいてくれたからよかったものの、1人で歩いていたらかなり目立ってしまっただろう。
ホテルの最寄り駅に到着した時には、おそるおそる足を前に移動させている状況だった。極めて望ましくない「はじめての体験」である。もしかすると、パビリオンの予約が取れた事と引き換えに、腰痛がやってきたのかもしれない。幸せと痛みを等価交換したのかもしれない。 それならば少しは納得、いや全然納得できないが、今回の万博の裏のクライマックスの1つが腰痛であった。せめてホテルに向かう途中で買った「たこ焼き」が美味しかったのが、不幸中の幸いであった。
まだ腰痛は残っている。ふいに痛みに襲われて、ぐむっ、と声が出ることがある。さらに足の裏あたりが痛く(足底筋膜炎?)なり、長時間歩いていると痛みで足を引きずることもある。年齢を重ねると仕方がないのだが、身体的に若干「万博後遺症」が残っている状況だ。
しかし、ストレッチ、ヨガ、お灸などで対処しつつ、こうやって自分の身体に注目する時間が増えたことで、痛みさえも「よかったこと」に解釈しようとする自己啓発的(?)な思考も生まれている。自分でも意外である。同時に、これが年齢を重ねるということかもしれないし、それでいいのかもしれないな、と今は思っている。
もともと私は、腰痛持ちというわけではない。登山のように、長時間重い荷物を背負って歩いた日の夜などは、多少痛みや苦しみを感じる事はあったものの、歩けなくなるほど痛いと感じる経験をしたことはなかった。ところが今回は、階段を降りるのはもちろん、足を前に運ぶだけで腰に痛みが走ってしまった。うぐっ、と 声にならない声が出てしまい、横に妻がいてくれたからよかったものの、1人で歩いていたらかなり目立ってしまっただろう。
ホテルの最寄り駅に到着した時には、おそるおそる足を前に移動させている状況だった。極めて望ましくない「はじめての体験」である。もしかすると、パビリオンの予約が取れた事と引き換えに、腰痛がやってきたのかもしれない。幸せと痛みを等価交換したのかもしれない。 それならば少しは納得、いや全然納得できないが、今回の万博の裏のクライマックスの1つが腰痛であった。せめてホテルに向かう途中で買った「たこ焼き」が美味しかったのが、不幸中の幸いであった。
■ そして、思い出が残った
記憶には補正がかかる。 そして、長い時間経過することにより「いろいろあったけれど、よかったね」と、ポジティブにおさまることが多いように思う。このエッセイを書いている段階、つまり万博から帰ってきて2ヵ月が過ぎた段階で、すでに「行ってよかった」という印象が強くなっている。まだ腰痛は残っている。ふいに痛みに襲われて、ぐむっ、と声が出ることがある。さらに足の裏あたりが痛く(足底筋膜炎?)なり、長時間歩いていると痛みで足を引きずることもある。年齢を重ねると仕方がないのだが、身体的に若干「万博後遺症」が残っている状況だ。
しかし、ストレッチ、ヨガ、お灸などで対処しつつ、こうやって自分の身体に注目する時間が増えたことで、痛みさえも「よかったこと」に解釈しようとする自己啓発的(?)な思考も生まれている。自分でも意外である。同時に、これが年齢を重ねるということかもしれないし、それでいいのかもしれないな、と今は思っている。
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