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【京都】京都御所を歩く。

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京都御所=「禁裏」とは? 京都御所は、京都市の京都御苑内にある、かつての天皇の住まいだ。1869年に明治天皇が東京へ移るまで、約500年にわたって、天皇の住まいとして使われた場所である。 天皇の住まいは「禁裏」とも呼ばれたことからも分かる通り、そこは「許可なくみだりに入ってはいけない、厳重に閉ざされた内側」という意味を持つ場所だった。私たちのような一般人は、おいそれと立ち入れない、神聖で格式高い場所だったのだ。 現在のように、京都御所が事前申し込みなしで通年参観できるようになったのは、2016年のことだ。それまでは限定公開が中心で、気軽に立ち寄れる場所ではなかった。この転換には、当時の政府が進めた観光戦略がある。外国人観光客を増やすため「歴史や文化にあふれる公的施設を観光資源として開放する方針」が決まったことが背景にあるとのこと。 このようにして、かつては容易に立ち入ることのできなかった「禁裏」が、今回の私たちのように「観光」で気軽に訪れられる場所へと変わったのである。 それにしても、2016年といえば、わずか10年ほど前のことだ。現在の形で公開されるようになったのは、意外なほど最近なのである。私自身も、今回の京都旅の計画を立てるまでは詳細を知らなかった。「京都御所は、予約なしでも大丈夫なの?」と驚いたくらいである。そして、これほど開かれているのなら、ぜひ行ってみたい。そう思い、今回の日程に組み込んだのだった。 京都御所を歩く 京都御所へは、 護王神社を参拝したあと に向かった。この日は、今回の京都旅の最終日。見学を終えたらすぐに京都駅へ戻り、そこから関西国際空港へ向かい、飛行機で仙台へ帰る予定だった。京都御所で過ごせる時間は、約1時間30分ほど。心を落ち着かせて見学することにしる。 清所門から足を踏み入れた。入り口で手荷物検査を受け、渡された「入門証」を首にかけて先へ進んだ。最初に感じたのは、圧倒的な開放感だった。そう、開放感である。砂利が敷かれた地面は遠くまで広がり、その横には塀が延々と続いていく。頭上には青空が広がり、ほかには何もな」。今「何もない」と表現したが、「空虚」という意味ではない。そこには「見えない何かが凝縮して」存在している。これが「禁裏」というものなのかもしれない、と想像する。そして私には、これが日本らしい空間なのだ、と感じた。 ...

【京都】八坂神社へ参拝する。そして、柚子屋旅館へ

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八坂神社へ参拝する 今回の京都の旅で、一番最初に参拝した神社が八坂神社である。八坂神社のご祭神は素戔嗚尊。学生の頃、初めて古事記を読んだ時、印象に残ったのが素戔嗚尊のエピソードだった。それまで私の個人的なイメージとして、神話に出てくる神様は、清廉潔白で清々しい存在だと思っていた。ところが素戔嗚尊は、暴れたり、いたずらをしたり、泣いたりする。人間らしい振る舞いというのだろうか、このような神様もいるのだなと感じたことを覚えている。 古事記によると、素戔嗚尊は伊邪那岐命が黄泉の国から戻って身を清めた時に、鼻から生まれた神様とされている。高天原での乱暴で追放されたものの、出雲で八俣の大蛇を退治し、須賀の地に宮を建てた。このとき詠んだ歌が日本最初の和歌とされ、和歌の神様でもある。大蛇を退治した武勇の神だと思い込みがちだが、実は、酒で大蛇を酔わせる知恵者であり、和歌の神でもあったのだ。見た目(?)で判断してはいけないのである。 素戔嗚尊と、牛頭天王、そして「茅の輪」 神社検定 で八坂神社について学んだ際、神仏習合の時代には牛頭天王を祀っていたこと、そして牛頭天王は素戔嗚尊と同一視されていたことを知った。そして 公式テキスト には、牛頭天王について、次のような話が記載されていた。 旅の途中の武塔神(牛頭天王)は、蘇民将来の家に宿泊した。蘇民将来は貧しいにもかかわらず、武塔神を温かくもてなした。すると武塔神は、疫病が流行っても「茅の輪」を腰につけると逃れることができると教えてくれたのだそう。祇園祭で「蘇民将来子孫也」と護符の書かれた粽をいただくのは、これが由縁になっているのだそう。 私はなぜか、この「蘇民将来子孫也」という言葉が印象的に感じられ、暗記が苦手にも関わらず、すぐに覚えてしまった。試験に出るといいのだが、と思っていたが残念ながら出題されることはなかった。  そのようなことを思い出しながら、南楼門から境内へ向かう。平日の昼間にもかかわらず、多くの参拝客で賑わっていた。本殿へ向かい、順番を待つ列に並び、願掛けをした。参拝を終えてから辺りを見渡すと、先ほどよりも人が増えているように見えた。外国人観光客も多く、修学旅行生と思われる高校生のグループも見かけた。 本殿での参拝を終えてから境内を回っていると、ある境内社の前で人だかりができていた。何だろうと遠目で...

【京都】護王神社へ参拝して、足腰の守護を祈願する。

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護王神社へ参拝する   京都の 護王神社 は、足腰にご利益があるという。 昨年の大阪万博 でひどい腰痛を再発させてしまった私としては、気になる神社だった。参拝前に調べてみると、護王神社は「イノシシ」に深いゆかりがあることもわかった。私の干支は亥である。これはぜひ参拝しなければと、今回の京都旅の日程に組み込んだのだった。 なぜイノシシ? 和気清麻呂公のエピソードより なぜ護王神社は、イノシシにゆかりがあるのか? それは、御祭神・和気清麻呂公の伝説に由来する。 奈良時代末期、称徳天皇の寵愛を受けた僧・道鏡は「道鏡を天皇にすれば天下が太平になる」という宇佐八幡宮の偽の神託を背景に、皇位を狙った。真偽を確かめるため宇佐へ派遣された清麻呂公は、道鏡の脅しに屈せず「皇族以外の者を天皇にしてはならない」という、真の神託を持ち帰って報告した。これが「宇佐八幡宮神託事件」である。 激怒した道鏡により、清麻呂公は「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させられ、さらに足の腱を切られたうえ、大隅国(現在の鹿児島)へ流刑となる。その道中、道鏡の放った刺客に襲われかけた瞬間、どこからともなく300頭ものイノシシが登場する。イノシシたちは刺客を蹴散らし、歩けない清麻呂公を約40キロ先の目的地まで守り届けたという。この伝説から、護王神社は「足腰の守護神」として広く信仰を集めたのだそうだ。  宇佐八幡宮神託事件を、読み返す  学生の頃、この「宇佐八幡宮神託事件」を読んだ時、正しい行いは紆余曲折があっても、正しい道に戻るものなのだ、とぼんやり考えた事を覚えている。しかし、この年齢になって読み返してみると、清麻呂公の我が身を顧みない信念の深さと強さに改めて感銘を受ける。 たとえ正しいと信じていても、しかも国家の一大事だとしても、圧倒的な勢いを持っていた道教に逆らうことができるだろうか。もちろん、私のような一般人と比較することはおこがましいことであるが、私ならば個人を優先してしまうかもしれない。ギリギリまで迷って、家族や周囲への影響を考えて(姉の広虫も「別部狭虫」に改名させられている)「長いものには巻かれて」しまうかもしれない。 天皇が崩御すると道鏡は失脚する。結果、清麻呂公は復権し、平安京造営など大きな仕事をなしとげた。最後は道鏡ではなく、清麻呂公が残った...

【京都】下鴨神社(賀茂御祖神社)へ参拝する

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 上賀茂神社から下鴨神社へバスで移動 上賀茂神社からバスに乗り、下鴨神社へと移動する。バスに揺られながら、神社をはしごして参拝するというのは、めったにないことだなと考える。 ふと、長野の 諏訪大社 に参拝した際に、上社本宮と下社秋宮をはしごした時のことを思い出した。その時は本宮で正式参拝をお願いしたのだが、参拝客が私一人だったこともあり、御神酒をいただいたあと、神主さんが声をかけてくださった。しばらく、お話をうかがった。あれはもう二十年ほど前のことになるのか。不思議なもので、あの時の会話は今でも思い出すことができる。神主さんの、やわらかな口調も覚えている。 バスの車窓から外を眺めながら、そんなことを考えているうちに、バスは20分ほどで目的地のバス停に到着した。乗客の多くが一緒にバスを降り、境内へと向かっていく。 下鴨神社に参拝する 下鴨神社は活気に満ちていた。参拝客が多く、あちらこちらで写真を撮っている人の姿が見える。そのまま人の流れに沿って、参拝を待つ列に並ぶ。ご祭神の賀茂建角身命は、古代の京都を拓かれた神さまであり、また八咫烏に化身して神武天皇を道案内したと伝わる神さまで、導きや勝利、物事の始まりを守る神として崇敬されているのだそう。私も、道案内していただけるような、一端の人間になれたらと願う。(参考  下鴨神社について ) 本殿のすぐ前には「言社」が並んでいた。このように本殿の目の前に干支ごとの小さなお社が並ぶ配置は、非常に珍しく下鴨神社の見どころの一つなのだそう。お社が並ぶことで、歴史ある凛とした境内に、自分の干支を探して行き交う参拝客の動きが加わり、独特の雰囲気が漂っていた。私にはこれが心地よい、にぎわいのある空気だと感じられた。私と妻も自分の干支を探し、それぞれ参拝させていただいた。 水みくじに、足りないことを指摘される  参拝後、「御手洗池」へ向かい「水みくじ」をひいた。午後の太陽の光を浴びて、キラキラと光る水面におみくじを浸すと、文字が浮かび上がってくる。透き通った水に浸すことで、いつもよりもご利益があるような気分になる。 ちなみに「水みくじ」の「仕事」のところに「努力なしに向上なし」と出ていた。私が努力不足ということを、見抜かれたのだろうか。向上を願うならば、まずは努力。努力を示さなければ、道案内もしていただけないだろう。当然...

【京都】上賀茂神社(賀茂別雷神社)へ参拝する

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 【京都旅】上賀茂神社へ参拝する 今回の京都旅で、参拝してみたいと思っていた神社の1つが下鴨神社だった。なぜ下鴨神社かと言うと、夏目漱石の『京に着ける夕』という作品の中に、下鴨神社周辺(糺の森)が登場するからである。いわゆる「聖地巡礼」というやつであり、ぜひ行ったみたいと考えていたのだ。(この内容は →関連動画  【夏目漱石と京都の旅】正岡子規との友情を『京に着ける夕』から読み解く ) そうなってくると、下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)は、あわせて参拝したい。この神社名からも分かる通り、上賀茂神社と下鴨神社、この二つはご祭神が親子なのである。 神話によると、賀茂一族の玉依姫命が川で身を清めていたとき、上流から赤い矢が流れてきた。持ち帰って床に祀っておくと、矢に籠もっていた不思議な力によって御子を授かる。その御子が元服を迎えたとき、祖父の建角身命が「父だと思う神に盃をすすめなさい」と言って盃を渡すと、御子は「私の父は天津神です」と答え、盃を天に向けて投げ、屋根を破って雷鳴とともに昇天した。この御子が賀茂別雷大神で、上賀茂神社のご祭神になったとのこと。(参考  上賀茂神社「御神話」 ) 一方、母神の玉依姫命と祖父の建角身命をお祀りしているのが、下鴨神社(賀茂御祖神社)である。「御祖」は祖先・親の意味だから、社名からも「親の神さまの社」であることを表していることがわかる。ちなみに、毎年5月15日に行われる葵祭は、この両社の例祭(神社で毎年行われる祭祀の中で、最も重要とされるお祭り)だ。同じお祭りで結ばれているというのも、親子である証だろう。 この二つの神社を参拝するにあたり、どちらを先に参拝すれば良いのか迷うところだ。手元の資料で調べてみたのだが、明確な参拝の順番はわからなかった。そこで今回私たちは、移動の関係から、上賀茂神社、下鴨神社の順番で参拝することにした。  バスに乗って移動 御薗橋を渡って上賀茂神社へ 市バスに乗って上賀茂神社を目指す。京都市内のバスの混雑には少々疲れていたのだが、前日宿泊したホテルのスタッフの方に「この路線はそこまで混みませんよ」と言われていたので安心していたのだが、実際には、ということもなく、車内は空いていて、座ったまま移動することができた。 そういえば、大学生の頃に京都へ旅行に来た時(かれこれ三十年...