投稿

ラベル(エッセイ)が付いた投稿を表示しています

50歳になって、考えたこと。【思えば遠く来たもんだ(中原中也 頑是ない歌より)】

イメージ
※以下の文章は、私(佐藤)が50代になった時に考えたことを、 note に書いたものです。一部引用して、こちらのブログにも掲載します。 中学生のころ、亡くなった叔母に「私、何歳に見える?」と聞かれたことがあった。叔母は、お洒落で華やかな話し方をする人だったので中学生の私には若々しく見えた。しかし30代では若すぎるような気もするし、50代ではないように思えたので中間をとって「40歳くらいですか?」と答えた。 叔母はカラカラと笑いながら「50歳よ50歳。すごいでしょう?」と言った。その時の私は「そうか叔母さんは50歳なのか。なんだかよくわからないけれど、すごいな」と思っていた。中学生の私にとって「50歳」は、はてしなく遠い未来であり、なかなか「たどり着けない地点」に思えたので、そこに到達できた叔母はすごい。そして同時に「どこか、自分には関係のないこと」などと感じていた気配がある。 つづきを読む (無料で読めます) ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ✏: つまり、佐藤の本棚(更新終了)   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ

盗まれた自転車が、見つかるまでの記録。

イメージ
自転車の盗難に遭う 先日、身内の自転車が盗まれた。施錠された状態で、マンションの敷地内から盗まれたのだった。「あるはずの自転車が、そこにない」時の絶望感は、経験したことのある人なら共感してもらえると思う。何が起こった? と軽くパニックになってしまう。 今回は盗難に遭ってから、警察へ相談し、自転車が戻ってくるまでの流れをレポートしてみたい。 警察に「盗難届」を提出する ただ呆然と立ち尽くしていても何も起こらない。悔しさを噛み締めつつ、できることは行っておきたいもの。まずは 「警察に連絡して、盗難届け」 を出した。購入した時の書類を見ながら「防犯登録」の番号などを確認し( 購入時に写真を撮っておくといいと思う。今回は、たまたま写真を撮っておいたのでスムーズに進んだ )警察に出向いて書類を提出する。 今回、手続きをする際に知ったのだが 「防犯登録には期限」 があるのだそう。地域によって対応は異なるらしいが「購入時に防犯登録をして、そのまま」にしておくと、期限切れになっている場合があるらしい。長く乗っている場合は、一度確認しておくのもよいかと思う。 近所の駐輪所を調べて回る 担当していただいた警察の方の話によると「ちょっと乗って、乗り捨てる」場合が少なくないとのこと。盗難に遭ってすぐならば、周辺の駅や駐輪場に乗り捨ててあるかもしれない、と仮定して週末に近所を歩いて回ってみた。 似たような自転車を目にする度に、近寄って確認してみる。ふと、このようにして駐輪している自転車を見回っていると、 周囲からは不審な行動に見えてしまうかもしれない 、と思った。 盗まれた自転車を探しているのに、逆に「盗む自転車を探している人」に見えてしまうかもしれない。周囲の人に不信感や迷惑をかけてしまっては本末転倒である。「健全そうな雰囲気で探さなければ。いや、しかし健全そうな雰囲気ってどんな雰囲気だ?」などと考えつつ気になった場所を探してみたのだが、 残念ながら自転車を見つけることはできなかった。 保険会社に連絡をする マンションの管理会社から 「自転車の盗難保険に入っている場合は、連絡した方がいい」 というアドバイスを受けたので、保険会社に確認してみると「今回のケースは保険の対象になる可能性がある」ということだったので申請する...

取引メッセージに何を書く? メルカリで古本を売ってみて考えたこと(その2)

イメージ
メルカリで古本を売ってみて、考えたこと(2) メルカリで購入(販売)をすると 「取引メッセージ」で、相手と簡単なやり取り をすることができる。 メッセージは任意なので省略することもできるのだけど、わりと多くの人が何らかのコメントを書き込んでくれる。ちょっとしたコメントでも、安心感が生まれるので、僕もなるべく書き込むようにしている。 「短い間ですがよろしくお願いします」 この取引メッセージに 「短い間ですが、よろしくお願いします」 という一文が添えられているのを何度か目にした。 この一文を目にする度に「確かに短い間の取引ではあるけれども、何かちょっと寂しい気がするな」と感じている自分がいた。 なんとなく「品物の取引が終わったら、 あんたとは永遠にさよならだ! 」と言われたような気がするのだった。もちろん実際に、永遠にさようなら、になるだろうし、それ以上でもそれ以下でもないのだけれども、すこし寂しい余韻の残る一文だと感じていたのだった。 「最後まで、よろしくお願いします」 先日、ある品物をメルカリで購入した。すると相手から 「最後まで、よろしくお願いします」 とメッセージが送信されてきた。ああ、これはいいなと思った。「取引が終われば関係は終了するけれども、 それまでは丁寧にお付き合いしましょう 」という印象を受けたのだった。 もちろん「短い間ですがよろしくお願いします」の方が好感が持てる人もいるだろう。「最後までよろしくお願いします」では、ちょっとしつこいような感じがする、と思う人もいるかもしれない。 そこで 「短い間ですが、最後までよろしくお願いします」 という折衷案を考えてみたが、これだと全体的な印象が弱くなるような気がする。 やはり「最後までよろしくお願いします」が、自分には心地よい一文に思えたのである。 誰もそんなこと考えない、とは思うけれど。 わりと僕は、ここに書いたようなことを折々に考えたりする。 そんな細かいことを考えても、とくに世の中に貢献できるわけでもないし、 見つけた答え(のようなもの)を誰かに話しても、ほとんど共感されることもない。 しかし、それでも僕はこのようなことを考えてしまうし、いつの日か共感してくれる人と出会えることを期待して試行錯誤を続けていこうと思う。 関連: 商品が届かない! ...

15年前のスニーカー(NIKE)

イメージ
先日、物置の中から古いナイキのスニーカーが出てきた。正確には忘れてしまったけれど、15年以上前に購入したものだと思う。いや、もう少し前かもしれないが、20年は過ぎていないように思う。確か、釣りに行く時に履くスニーカーが欲しいと思っていて、ふと立ち寄った店で目にとまったコレを買ったように記憶している。値段は忘れてしまった。 わりと気に入っていて、高頻度で使用していたせいか全体的に色褪せてしまっていた。しかしまだ履けそうだったし、赤のラインが挿し色になって良い感じに見えたので、ここ一ヶ月ほど休日の時に愛用していた。 ところが今日の朝、下駄箱を見て異変に気がついた。スニーカーのソールの部分が剥がれてしまっていたのだ。使用していた期間を考えると、このようなダメージが発生する確率が高いことは理解していたのだが、実物を目にするとそれなりに驚いてしまう。 せっかくなので、ソールの裏の部分を観察してみた。なにやら印字されていることに気がついた。この部分はソールを剥がしてみないと目にすることができない部分だから、見られることが目的で印字されているわけではないだろう。なんとなく貴重な部分を目にしたような気になった。 それにしても、ここまで酷使されて、スニーカーはどのように感じていただろう。数年ぶりに太陽の下に引っ張り出されて、気分良く最後の時間を迎えられただろうか。いいかげん、休ませてくれよと思っただろうか。 このスニーカーと一緒に何キロくらい歩いたのか、誰とどこへ行った時に履いていたのか、それはもう忘れてしまった。とりあえず、それなりに長い時間と距離だったことは間違いない。今まで、共に歩いてくれてありがとう。そんなことを考えながら、写真を撮ってここに記録を残してみた。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ

「以前ほど怖さを感じなくなってきた。」【深夜の連続ツイート】

イメージ
iOSをアップデートしていたら、思いのほか時間がかかってしまった。そしてふと、三月は今日で終わりだということに気がつく。高校生くらいの時は「一ヶ月あれば、たいていのことはできる」と感じていたけれど、最近は「あっ」というまに過ぎてしまう。 それでも最近は「時間が過ぎる」ことに、以前ほど怖さを感じなくなってきた。それはたぶん今の自分には「挑戦したいこと」が、あるからだと思う。作ってみたいものが、いくつかあるからだと思う。 「今、気になる人、もの、ことがら」があれば、時間が過ぎていくことは怖くない。 その先には、新しい出会いや、再会、そして、作り上げた時の喜びの瞬間が待っているからだと思う。希望と期待が見え隠れしているからだと思う。たぶん、きっと、そうだと思う。窓の外は強い風が吹いている。まだまだ冷たいけれど、どこか春が近いことを感じさせてくれる風だ。  【関連】 深夜の連続ツイート(エッセイ)一覧 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ

iPad miniを見て、思い出したこと。【Apple】

私の初めてのMacは「 perfoma 5270 」という機種だった。今からもう20年ほど前の話だ。クラリスワークスで資料を作り、キッドピクススタジオで絵を描いて遊んでいたのも、今となってはいい思い出だ。 それから数台のMacを買い替えてきた。「仕事で使うなら、Windowsにしないと損をする」と言われてもMacを選んできた。新製品が出ると、とりあえず見に行った。そしてそれにはいつも「おっ!」と感じるような何かがあった。それは「電化製品を買う」という気分ではなく 「未来のワクワクを手にする」 というような感覚だったと思う。 その中で「これは売れないのではないかな!?」と感じたのが、iPadだった。「なんとなく中途半端な位置づけ」で、どちらかというと「パソコンを使うのが苦手な人向けのデバイス」と、個人的に勝手に思い込んでいたのである。 iPadが発売されてから数年後、実家の両親が購入することになった。両親はiPadで、ネットで検索することを覚え、ニュースや天気を確認し、ネットショップで買い物をし、孫とFaceTimeで会話をするようになった。もはやiPadなしの生活はイメージできないのではないか、と思うほどに浸透していた。そしてそれはあっという間に、年齢問わず様々なところで活用されているのを目にするようになった。iPad(つまり、タブレット)は、私の狭い頭の中で考えているよりも、 ずっとずっと世の中に必要とされていたのだ。 何か新しいものに直面した時、私はここに書いたことを思い出す。自分が「必要ないだろう」と感じたことに大きな可能性があるかもしれない。自分の経験と生活の範囲だけで、すべてを理解し把握したと勘違いしないように。 今、自分の判断基準になっているものが、数年先もスタンダードである保証など何もないのだ、と 。 先日、連れが iPad mini4 を購入した。借りて触らせてもらっている時に、今回のことを思い出した。そして、あと数年もしたならば、Macを使わずにiPadだけで仕事をしているのかもしれないと思った。いや、全く別の新しいデバイスが開発されているかもしれない。その時は、たとえ周囲の人たちが慎重になって手を伸ばさなかったとしても、真っ先に試してみる好奇心を保っていたいものだ。そんなことを考えました。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐...

カビにまみれた、革ジャンを自分で洗濯する。

イメージ
クローゼットから、カビまみれの革ジャンを発見 先日、クローゼットの奥の方で「ゴトン」という音が聞こえてきた。そのような音が出るようなものは存在しないはずなので、気になって扉を開けてみると、そこにはハンガーから落下した革ジャンの姿があった。学生のころ(つまり、今から二十年以上も前)にバイクに乗る時に購入したライダースジャケットである。 おお、なつかしいなあ、と取り出して広げてみると・・・それはすっかりと変わり果てた姿になってしまっていた。ジャケットの表面に広がるカビカビカビカビ。なんだこれは、最初からこのような模様だったのではないか、と思うほど一面にカビが広がっていたのだった。確かに、とくにメンテナンスもしていなかったし、ずっと着用する機会もなかったから、このような状況になるのも仕方がない。が、しかし、それにしても酷いありさまだった。記録用に写真を撮っておこうかと思ったものの、あまりの酷さに止めてしまったほどだ。 カビを落とすには、どうすればいいのか? そっと、床の上におき、まずは濡れたタオルで表面をこすってみる。ある程度は取れたが、全体的に広がっているし、こすっても落ちない汚れもあちらこちらに見受けられる。このライダースジャケットを着用することは、とりあえず当分の間はなさそうだが、そうだとしてもこのまま放置しておくのは気がひける。さて、どうするか? クリーニングに出す? たしかにそれがベストではあるが、費用もかかりそうだ。うん、そうだ洗濯機で洗ってみようか? バイクで走っている時に、突然の雨でずぶ濡れになったこともある。そもそも外を走り回る時に使っていたジャケットで、ラフに扱っていたものだから、今さら繊細なメンテナンスをしたところで・・・。 革ジャンを、洗濯機で丸洗いしたらどうなる? などと考えたところで「どうせ駄目なら、まあしかたない」という自己責任で、丸洗いしてみることに決めた。いや、むしろ、丸洗いしたらどうなるのか、ということを知りたくなったのだ。 まず最初に、風呂場へ持っていき、ていねいに水洗いをした。さすがに、このカビまみれのものを洗濯機に入れるのには抵抗があったからだ。この段階で、おおむね綺麗になったので「これでもいいか」という気分になったのだが、予定通り洗濯機に入れてみることにした。 そして待つ事40分。水を...

halo を見た日。

イメージ
日曜日の午後、空を見上げたら太陽に虹がかかっていた。 とても綺麗で、不思議な気配がした。 調べてみると「ハロ(HALO)」と呼ぶらしい。 なんだか、特別なものを見ることができたようでうれしかった。 そういえば、以前よく聴いていた曲のタイトルが「Halo」だった。 この現象のことだったのか、と思った。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ✏: つまり、佐藤の本棚(更新終了)   ☑: ブログのTOPへもどる

knot の腕時計をプレゼントしてもらった日

イメージ
腕時計を紛失したダメージは、なかなか大きい 今年の春に、腕時計を紛失してしまった。 普段、めったに物をなくさない方だし7年ほど愛用していた腕時計なので 「 失くしてしまった」 というダメージが自分で思っていたよりも大きかった らしく、新しい腕時計を購入することを躊躇したまま数ヶ月が過ぎてしまっていた。 恋人と別れたからといって、すぐに新しい恋人と付き合う気持ちにはなれないのと同じである。いやもちろん、すぐに付きあっても構わないのだけれど、出会いのチャンスは逃さずに生かした方がいいと思うけれど、なんとなく冷却期間をおきたくなったのである。 とはいえ、腕時計がないと不便なので(「スマホがあれば時間がわかるじゃないか」という意見もあるけれど、スマホをポケットから取り出して確認する手間が面倒に感じられるのである)そろそろ新しい時計を購入しようと考えていた。 次の腕時計は「Knot」にしよう そこで候補にあがったのが 「knot」 である。以前から、ここの腕時計は気になっていたのだけれど、当初は通販のみだった(と思う)ので購入を躊躇していた。ところが、ふと立ち寄った仙台LOFTにknotが置かれているのを発見。実物を見てみて「やはり、これはいい」と購入を決めたのだった。 ちょうど7月が誕生日だったので「自分への誕生日プレゼント」という名目で購入しようかと考えていた。すると、連れが 「誕生日に、腕時計をプレゼントしてあげる」 と切り出してくれた。ずっと腕時計なしで過ごしている様子を見て不憫(?)に思い、プレゼントしてあげようと考えてくれたらしい。これはうれしい。遠慮なく甘えてプレゼントしてもらうことにした。 Made in Japanの腕時計 そんなわけで、首尾よくknotの腕時計を手に入れることができた。 シンプルで上品なデザインだし、Made in Japanだし、なにより価格がお手頃。 ぱっ、と見た感じでは、今まで使っていた某外国メーカーの腕時計にも勝るとも劣らない雰囲気だと感じた。かなりお値打ち品だと思う。周囲にも おすすめしておくので、 ぜひこの価格とクオリティでがんばっていただきたい。 ひとつだけ、 ベルトのデザインが気になった 。これは好みの部分が強いと思うのだけど、もう少し ベルトの幅や色味の点 などで「何か」が欲しいなあと思った。今の段階...

7月は一年の中で一番好きな月だから【深夜の連続ツイート】

イメージ
帰宅。ずっと締め切っていたので、外よりも部屋の中の方が暑い。少しだけエアコンをつけて温度を下げてから、窓を開けた。すぐ近くの道を歩いていく、男女の楽しげな話し声が聞こえてくる。夏だ。 そしてあと40分くらいで、7月が終わる。7月は一年の中で一番好きな月だから、もう少し7月のままでいてほしいと思ったりもする。来年の7月は、どこで何をしているだろう。少なくとも、こことは違う場所にいるような気がします。  【関連】 深夜の連続ツイート(エッセイ)一覧 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ

むしろ誰も気がつかないかもしれない。【深夜の連続ツイート】

イメージ
ここ最近、微調整の作業が続いた。実際のところ調整前のものと比較しても、その差に気がつく人は少ないだろう。むしろ誰も気がつかないかもしれない。もうこのくらいでいいじゃないか、と、いやここまでやったのだからもう一息、を繰り返しながら時間を費やしていく。 それでもやはり、自分自身が納得いかないと、どこか落ち着かないし後悔するのが嫌なので手を加えてしまう。そして、うーん、まあ今日はここまでかな、とモヤモヤしながら後片付けをする。寝る準備をする。 今日は風が強い。明日、いや今日も少し寒くなるみたいだ。もう寒いのは嫌だけれど、この寒さの先には春が待っていると思うと、色々とがんばれそうな気がしてこなくもなくもなくもない。 【関連】 深夜の連続ツイート(エッセイ)一覧 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ

献血へ行く(検査結果が届く) その2

イメージ
先日献血へ行った際の検査結果が届いた。それにしても、健康診断の結果を見る時というのは、どうしてあんなにも緊張するのだろう。どれ確認しようかな、いやもう少し後で、ええい、いいや、もう見てしまえ、というような逡巡を頭の中で数回繰り返してしまう。 すでに結果が出ているのだから、さっさと見てしまえばいいのに、 時間をおいたからといって数値が向上するわけではないの に、ついつい躊躇してしまうのは、なぜなのだろう? ちなみに、今回の検査結果はすべて基準値内におさまっていた。ほっとした。若干、コレステロール値が高めだったのは、年末年始の食事の内容が影響しているのだろうか? いつもより酒量が多かったし、肉料理が中心だったし、運動不足だったし、 そうこの年末年始で1キロくらい太っていたからなあ、やはり餅は危険だあれは太る、などと無駄に記憶を辿ってしまった。とりあえず、自分もアラフォー世代。この機会に生活を見直して、次回の検査までに数値を下げられるように注意していきたいと思いました。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる

20年ぶりの献血

イメージ
献血へ行った。実は献血へ行くのは学生の頃に行ったきりだったので、20年ぶりくらいになる。なぜ突然また献血へ行こうと思ったかというと、話せば長くなるので簡単に書くと、たまには世の中の役に立つことでもしよう、と思ったからである。ちょうど休みで時間もあるし、家でゴロゴロしているよりは良いかなと思って出かけたというわけである。 今回は仙台のアエルにある献血センターへ行ったのだけど、広くて清潔感があって、とても快適な空間だった。自分が学生だったころの献血センターは、もう少し病院の雰囲気というか、ざっくばらんとした感じだったように記憶しているけれど、だいぶ変わったものだ。 さらに驚いたのは「ポイント制度」になっていて、ポイントを(献血をすると内容に合わせてポイントがたまる)記念品がもらえるのだそうだ。うーん。いろいろと工夫をしているわけですね。 ちなみに学生の頃の献血記録は、データに残っていなかったそうだ。さすがに20年ほど前のデータは削除されてしまうのだろうけど、ちょっと残念だった。まあ、当時のデータを見せられても「ああ、この数値が高くなってる。歳はとりたくないなあ・・・」と、落ち込むだけかもしれませんけどね。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる

めまい。

今から数週間前のこと。朝、目が覚めてベットから身体を起こした瞬間、目の前の風景が180 度回転したように感じた。文字通り、ぐるん、と音を立てて視界が回転したのだった。「これは、めまいか?」と思った。しかし「めまい」にしては、目の前の風景が移動するスピードが 早すぎるのではないか、と思った。 おそるおそる、身体を起こしてベットから降りてみる。スリッパを履こうと思い下の方に頭を下げた時、またぐるんときた。とたんに、吐き気と冷や汗が全身から吹き出てくる。あわてて座る。またぐるん、とくる。まるで頭の中をかき混ぜられているかのようだ。目と身体がバラバラに動いているようだ。なんだなんだ、何が起こっているんだと思う。どこか危険な感じがする。とりあえず横になって休もうと考える。 ベットに横になって、寝返りを打つ。その度に視界が右から左へと、ぐわんぐわんと動く。そして吐き気と冷や汗。携帯で情報を調べてみようと画面を見ようとするのだが、気分が悪くて集中できない。じっとしていれば手足に力も入るし、呼吸も普通にできる。耳鳴りなどもない。 それでも、ちょっと頭を動かすと、とたんに気分が悪くなる。汗が出る。世界が回る。一度だけ一人でトイレに行った。壁に手をつけて、そろりそろりと普段の何倍も時間をかけて歩いた。突然ぐるぐると回り出して倒れてしまったなら、もう誰にも助けてもらうことはできない。そう考えると恐ろしくなって、ギリギリまで水分を摂らないことにした。 もうこれは、病院に行った方がいいのではないか? しかし今日は日曜日だ。病院は日曜日の受付はどうなっているのだろう。自分では運転できそうにないからタクシーか。救急車を呼ぶほどでもなさそうだし…。いや、そもそも「めまい」は、どこの病院へ行けばいいのだろう。とにかく、なるべく身体を動かさず、じっとして耐えるしかない。不安だけれど今のところは、それしかない。 結論から書くと、この「めまい」は2日ほど継続した。3日を過ぎたあたりから突然、その症状は起こらなくなった。不安は残るし、なんとなく身体が揺らいでいるような気分にもなる。しかし、不思議なほど急速に、その症状は消滅してしまったのだった。 ネットで自分の症状を調べてみたところ「良性発作性頭位めまい症」に良く似ていると感じた。そこで紹介されていた「寝返り運動」という方法を試しつつ、様子を見...

ジェントルマンジェームスの謎

イメージ
SEIYUで見つけた 「ジェントルマン ジェームス」のラベルがかっこいい 。実にクールだ。ここに描かれている男性が「ジェームス氏」なのだろうか? 彼は一体何をしているのだろう。想像してみるに、腕の構えからストリートボクシングをしているのかもしれない。大切なプライドを守るために「よし、それならここでひとつ勝負をしようじゃないか。負けた方が潔く身をひく。それでいいな?」と決闘をして、そのあとビールで互いの健闘を讃え合うというストーリー。 が、そうなってくると足元に置いてあるバケツ(らしきもの)が不明である。一緒に飲んでいた連れは「仕事のあとに、身体を拭いてからビールを飲むジェームス氏」ではないかという。「早くビールを飲みたいけど、きちんと身体を清めてから飲む。それが ジェントルマン ジェームスである」とのこと。 なんとなく説得力がある。バケツがあることにも理由がつく。しかしそれなら、人前で上半身裸で身体を拭くという行為は ジェントルマンなのか? もしかすると物陰に隠れて拭いていたのかもしれないが、この堂々とした表情から推測するに隠れて拭いているようには見えない。さらに良く見ると、腹のあたりは若干メタボ気味ではあるが、二の腕の辺りはしっかりと鍛え上げられているようにも見える。むしろ己の身体を誇示しているように見えてくる。 さらにさらに目を凝らしてみると、足元にあるのはバケツではなく鞄のようにも見える。靴もブーツのように見えるので、炭坑で作業をしていたジェームス氏が仲間のために戦っている場面なのかもしれない。劣悪な作業環境の改善を訴えてストライキを行った際に、理不尽な暴力で押さえつけようとする会社側に対し、仲間のために己の身体だけで敵と対峙するジェームス。うむ、これならジェントルマンの冠にふさわしいのではないか。 ここまで考えてみて、真実が知りたくなったのでさらっと検索してみたのだけど、特に有力な情報を見つけることができなかった。もう少しきっちりと調べればわかるのかもしれないけれど、知らない方が良いこともあるかもしれないのでこの辺りで止めておく。 ちなみにビールはとてもおいしかったです。 自分好みの味でした。 【関連】 ジェントルマンジェームスの「ラベル」が変わっていた ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎:...

新しい御朱印帳。

イメージ
鹽竃神社へ初詣にでかけた際に、新しい御朱印帳をつくることにした。昨年、連れに御朱印帳を見せてもらってから「参拝の良い記憶になりそうだから、自分も始めようかな」と考えていたので、初詣をきっかけに始めてみることにしたというわけだ。 御朱印とは、神社や寺で参拝者に押してくれる印章のことである。しかも、ただ印を押していただけるだけではなく、神社や寺の名前を日付入りで個別に墨書していただけるのがうれしい。関連の書籍によると「もともとは寺社に写経を納めた際に、いただいた印」というような説明があったので、 参拝した証として御朱印という形でお守りをいただく、というような考え方でよろしいのではないかと思う。 スタンプラリーの様に「印をたくさん集めて眺めて楽しむ。友達と印の数を比べっこする。多い方が勝ち」という気分では、本来の目的とはちょっと違ってしまうのかもしれない。単なる印章ではなく、 自分だけに個別に作っていただけるお札、という捉え方で扱った方が良いかと思う。 なので、神社に到着するやいなや「御朱印はどこで押してもらえるの?」と受付を探して直行するのではなく、参拝した後に粛々と印をいただきたいものだ。なぜわざわざこのような事を書くのかというと、そのようなことをしてしまいそうな自分への戒めである。旅の途中などでは、時間に追われて「とりあえず御朱印だけでも!」と本末転倒なことになりそうなので、気をつけていこうと思う。 ちなみに御朱印を押印していただく帳面のことを「御朱印帳」という。そのままのネーミングである。今回自分は、鹽竃神社で御朱印をいただく際に御朱印帳も合わせて購入させていただいた。緑地のシンプルなデザインが落ち着いていて良い感じだった。新年に新しい御朱印帳に「鹽竃神社」と「志波彦神社」の御朱印を二社分押していただき、何か楽しみな一年になりそうな初詣となりました。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる

カメラを忘れた、休日の午後

イメージ
カメラは重いから車の中に置いていこう、 という日に限って印象的な景色に出会ったりするような、 そんな休日の午後。 ベンチに座っている僕の目の前を、真新しいピンクのシューズを履いたジョガーがものすごい勢いで走り抜けて行った。こんなに道幅は広いのに、あの人はどうしてこんなにギリギリを駆け抜けたんだろう、などと考えているうちに太陽が傾いてきた 。 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ✏: つまり、佐藤の本棚(更新終了)   ☑: ブログのTOPへもどる

深夜の連続ツイート「Nさんのこと」【深夜の連続ツイート】

イメージ
今からもう、かれこれ10年くらい前の話。友人に徳島県に住んでいるNさんという女性がいた。たしか大学院で絵の勉強をしている方だったと、記憶している。もしかしたら違うかもしれない。でも絵と写真を見せてもらったことがあるから、おおむね当たっていると思う。 (つづき)春のことだった。Nさんから「そちらにも桜が咲きましたか?」というようなメールが届いた。僕は、自分が見えている風景をパタパタと返信した。どんなことを書いたかは覚えていない。ただ、静かに書いて普通に送信ボタンを押したことは覚えている。そして翌日、Nさんから返信が届いた。 (つづき)彼女は僕の文章を褒めてくれていた。それが、何というのだろうか「本当に心から褒めてくれて」いるのが伝わってきた。うれしいというより、おどろき。自分の文章が褒められるなんて、考えたこともなかった。なにしろ国語の成績が、主要五科目の中でいちばん低かったくらいだからね。 (つづき)昨日大きな地震があった。その時、ふとNさんのことを思い出した。彼女となぜ連絡を取らなくなったのかは、もう覚えていない。確かメールアドレスが変わって…いや、どうだったかな。これで深夜の連続ツイート終わり。今日の仙台の最低気温は0度。いつの間にか、すっかり冬の真っ盛りだ。 【関連】 深夜の連続ツイート(エッセイ)一覧 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ

「空中都市を見上げていたころ」【深夜の連続ツイート】

イメージ
子供のころ、小説だったか百科事典だったかは忘れてしまったけれど、何かの本で「空中都市」という言葉を見た。その時、自分の頭の中に浮かんだのはSFのような未来都市ではなくて、砂場の砂を高く積み上げたような、そして頂上の一部がふわりと空中に浮いているような、そんなイメージだった。 自分が何かを考えている時の感じは「空中都市」に似ているな、と先ほど気がついた。砂に足首まで埋まりながら、ズボズボとよじのぼってようやく辿り着いたと思ったら、そこは頂上ではなくて。その先にふわりと浮いた場所があって。どうやれば、あの場所に行けるのだろう?と、見上げている感じだ。 それでも、声だけは出してみよう。言葉を発すれば、誰かの耳に届くかもしれない。たとえ無視され、転がり消えてしまったとしても、1000人のうち1人くらいは気がついてくれるかもしれない。そして、もしかしたら「やさしい人」から、返事をもらえるかもしれないじゃないか。 今日は11日。あの日から僕は、できるだけ大きな声を出そうと試み続けてきた。今のところは、そのほとんどが目の前で墜落してしまっているかもしれない。それでもいつかは、超高速のロケットが雲海を突き抜けるみたいに勢いよく飛び出せるはずだ。ものすごくパワフルなイメージで。笑ってしまうくらいのスピードで。 ただいま午前2時22分。これで深夜の連続ツイートおわり。今日はパンを焼こうかと考えている。べつに比喩などではなくて、普通に食べるパンを普通にホームベーカリーで焼こうかと思っている。でもめんどうになったら寝ているかもしれない。すでにめんどうかもしれない。 【関連】 深夜の連続ツイート(エッセイ)一覧 ☺ このブログの「目次」へ ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール   ✍︎: 佐藤への仕事の依頼&問い合わせ   ☑: ブログのTOPへもどる 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。チャンネル登録(無料)&高評価で応援お願いします。 ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「オンライン文学講座 佐藤ゼミ