【北海道旅(2回目)】青い池、は本当に青いのか?

出会いは、Macの壁紙だった。
私が初めて、北海道の「白金青い池」を知ったのは今から約15年ほど前のこと。Macの壁紙写真で目にしたのが初めてだった。最初にこの写真を見た時は「幻想的で別世界のような景色だ。外国にはこのような美しい場所があるのだな。いつか行ってみたいものだ」と感じたことを覚えている。しかし後日、この場所が日本の「北海道の美瑛町」にあると知った時、日本国内にこんな美しい場所があるのかと驚いたのだった。一度行ってみたいと思った。しかし、北海道はまだ1度も行ったことがない場所だった。北海道へ行く、というだけでも飛行機に乗って遠い距離を移動しなければいけないのに、この「青い池」は、移動が困難な山奥の秘境にあるだろうから、簡単には行けないだろう。登山の装備をして挑まなければいけない場所なのだろうと、15年前の私はMacのディスプレイを見ながらそう思い込んでいた。
青い池へ、行くことになった。
そんな「青い池」へ行くことになった。それは2回目の北海道旅行(2024年9月)の事だった。 前日、 富良野のペンションに泊まったのだが、オーナーの話によると「今年の夏も『青い池』は大混雑だった。車の渋滞がひどくて、数時間待ちは覚悟しなければならない。入口まで辿り着けずに途中で諦めて帰ってきたお客さんもいた」ということだった。
そんなに混雑するのか、まだ日が昇らない早朝の時間帯に出発したほうが良いのだろうか、と考えていると「ここ最近(9月上旬)はだいぶ混雑が緩和されてきた。確かな事は言えないけれども、そこまで警戒しなくても大丈夫だろう」とのことだった。地元の人が大丈夫というのなら大丈夫だろう。予定通り、翌朝8時にペンションを出発することにした。
翌朝の北海道は、すばらしい天気だった。白樺の木々の間から、燦々と太陽の光が降り注いでいた。昨日は、午後から若干天候が崩れていたので心配していたのだが、今日は天気に恵まれそうだ。太陽の光が不足すると、水のトーンが沈んでしまいそうだから、この天気はありがたい。スタートは好調だな、とレンタカーに荷物を積んで出発する。
天気には恵まれたが、肝心の渋滞の方は・・・と、いうこともなく、こちらも快適そのものだった。この先を曲がったところで渋滞が始まるではないか、とヒヤヒヤしながら移動していたのだが、渋滞に巻き込まれるどころかスイスイと駐車場に到着してしまった。スムーズすぎるほどスムーズだったので、この駐車場で合っているのか? もしかしたら一つ手前の駐車場なのではないか、と思ったくらいだった。
駐車場のこの先に、あの「青い池」がある。
有料駐車場に車を置く。この先に「あの『青い池」があるのだ」と思う。期待感が静かに高まっていく。整備された道を快適に歩いていくと、その先に人が集まっている様子が見えた。みんな同じ方向にスマホやカメラを掲げて写真を撮っている。自然と歩くペースが早くなってくる。入口が近づいてくる。みんなと同じ方向に視線を移すと、その先に「青い池」があった。
確かに青い。そう青い池は、確かに青かった。そして、ここがMacのディスプレイで何度も見ていたあの場所だと思った。
周囲はさほど大きくは無い。Wikipediaに「国土地理院発行2万5千分の1地形図では水たまりと見なされているため水面は描かれていない」と記載されているように、入口から全体を見渡せるサイズ感だ。周囲に遊歩道が整備されているのだが、15分も歩けばゆっくり一周できる。とりあえず、移動できる端から端まで、歩きながら写真を撮ることにする。入口付近はやや混雑していたが、奥の方へ移動すると閑散としていた。時間帯なのか季節なのかその両方だろうか。ゆっくりと歩いて立ち止まって写真を撮影しても邪魔になることもなく、様々な角度から景色を楽しむことができた。
北海道公式観光サイトによると「十勝岳の火山泥流を防ぐ工事の際、美瑛川に置かれたブロック堰堤に川の水が溜まってできた人造湖です」 とある。「青い池」は天然ではなく、工事の際に偶然できた場所だったのだ。私は、仕事か何かで山に入っていた人たちが偶然「青い池」を発見したと思っていた。「神の御業だ!」と、そこから様々な伝説が生まれたのではないか、と勝手にストーリーを描いていたのだが、全然違っていた。もちろん発見した時は驚いただろうけれども、私が想像していたそれとは違った驚きだっただろう。
あこがれは、ドラマチックを期待する。
そんなことを考えながら、周辺を散策し1時間30分ほど滞在して次の目的地へ移動となった。確実に素晴らしく美しく、そして訪問する価値のある場所だったが、車であっさり移動して、パシャパシャ写真を撮り、またあっさりと移動あいてしまうことに、少しだけ違和感のようなものを感じていた。もちろん絶景を堪能したのではあるが、どこかあっさりと済ませてしまったような気分が微かに感じられてしまったのだった。
本来ならば、渋滞もなく快適に移動できて、天気も良く、美しい景色が見れてよかった、さあ次へ行こう! となるのだが、実際に普段の私ならばそう感じるのだが、どうしてこのような気分になるのだろう。・・・、ああつまり、15年以上も「あこがれていた場所」だから「何年間も写真で眺めていた場所」だから、ドラマチックな「何か」を期待しすぎてしまったのかもしれない。期待値が、必要以上に高まりすぎて現実の体験に余計なフィルターをかけてしまったのかもしれない。私はつまり、そんな面倒臭い性格なのだということを再確認したのだった。
現実の世界は、意外にあっさりと過ぎ去っていく。そして時間が流れるにつれ、重厚な思い出に変容していく。有り難さに気が付く。やがて今回の思い出からも、余計な思い込みが風化され、美しい風景だけが残るのだろう。そして、またいつか行ってみたい、と何年も思い続けることになるのだろう。現在でも、あの「青い池」の壁紙はダウンロードできるのだろうか。そんなことを考えたのでした。
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