【京都】上賀茂神社へ参拝する
【京都旅】上賀茂神社へ参拝する
今回の京都旅で、参拝してみたいと思っていた神社の1つが下鴨神社だった。なぜ下鴨神社かと言うと、夏目漱石の『京に着ける夕』という作品の中に、下鴨神社周辺(糺の森)が登場するからである。いわゆる「聖地巡礼」というやつであり、ぜひ行ったみたいと考えていたのだ。(この内容は →関連動画 【夏目漱石と京都の旅】正岡子規との友情を『京に着ける夕』から読み解く)
そうなってくると、下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)は、あわせて参拝したい。この神社名からも分かる通り、上賀茂神社と下鴨神社、この二つはご祭神が親子なのである。
神話によると、賀茂一族の玉依姫命が川で身を清めていたとき、上流から赤い矢が流れてきた。持ち帰って床に祀っておくと、矢に籠もっていた不思議な力によって御子を授かる。その御子が元服を迎えたとき、祖父の建角身命が「父だと思う神に盃をすすめなさい」と言って盃を渡すと、御子は「私の父は天津神です」と答え、盃を天に向けて投げ、屋根を破って雷鳴とともに昇天した。この御子が賀茂別雷大神で、上賀茂神社のご祭神になったとのこと。(参考 上賀茂神社「御神話」)
一方、母神の玉依姫命と祖父の建角身命をお祀りしているのが、下鴨神社(賀茂御祖神社)である。「御祖」は祖先・親の意味だから、社名からも「親の神さまの社」であることを表していることがわかる。ちなみに、毎年5月15日に行われる葵祭は、この両社の例祭(神社で毎年行われる祭祀の中で、最も重要とされるお祭り)だ。同じお祭りで結ばれているというのも、親子である証だろう。
この二つの神社を参拝するにあたり、どちらを先に参拝すれば良いのか迷うところだ。手元の資料で調べてみたのだが、明確な参拝の順番はわからなかった。そこで今回私たちは、移動の関係から、上賀茂神社、下鴨神社の順番で参拝することにした。
バスに乗って移動 御薗橋を渡って上賀茂神社へ
市バスに乗って上賀茂神社を目指す。京都市内のバスの混雑には少々疲れていたのだが、前日宿泊したホテルのスタッフの方に「この路線はそこまで混みませんよ」と言われていたので安心していたのだが、実際には、ということもなく、車内は空いていて、座ったまま移動することができた。
そういえば、大学生の頃に京都へ旅行に来た時(かれこれ三十年以上前の話だ)市バスの運転が荒くて、急ブレーキと急停車を繰り返した結果、座っていた乗客が車内の床に転げ落ちたことがあった。それ以来「京都のバスは運転が荒い」という印象をもっていたのだが、今回はスムーズで丁寧だった。あの時の運転手が例外だったのかもしれない。とりあえず三十年越しに、私の京都市バスの印象は更新されたのだった。
そんなことを思い出しているうちに、上賀茂御薗橋のバス停に到着。御薗橋を渡って、一の鳥居を目指す。この橋を渡り始めてすぐに、どこかで見たことがあるような既視感を覚えた。懐かしいとか、いつかここを歩いたかもしれない、といった感覚ではなく「どこかで見た風景に似ている」という感覚である。それは安心感にも感覚だった。京都を旅していて、そのように感じたのは初めてだった。
一の鳥居をくぐり、まっすぐに二の鳥居を目指す。私たちの他に参拝客は数人しかいない。時間が良かったのか平日だからなのか、静かな気持ちで歩いて行く。二の鳥居をくぐったその先に、砂の山が2つ見えてきた。立砂である。この立砂は、神さまが降り立った神山を模したもので、神さまが降りてくる依り代にあたる。お清めの砂の起源とも言われているそうだ。
ガイドブックの写真などで目にしていたのだが、実際に見てみると綺麗で滑らかな形状をしているのがわかる。子供が砂浜で砂遊びをするみたいに、表面に触れて、その感触を確かめてみたくなる。山の頂上に差し込まれた松の葉も確認し、なんだかほのぼのとした気分になった。
そこから足を進め、境内を流れる「御手洗川(ならの小川)」を越えて先へ進んで行く。個人的に、この空間がとても心地よかった。とくに感覚が鋭くない私でも、ここは水の流れに清められた、凛とした「結界」というような空間になっているように感じられた。
「ならの小川」は、百人一首に収められた藤原家隆の歌に「夏の禊」の情景が歌われている。多くの人々がこの水辺で身を清めてきたのだろう。普段の雑多な考えが流れていくようで、心地よい。少し長めに立ち止まって、穢れが染み込んでいる心身を禊いでいただくことにする。
片山御子神社(母神)に、ご挨拶をする
楼門をくぐる前に、まずは片山御子神社へ参拝する。こちらには、賀茂玉依姫命が祀られている。そう、賀茂別雷大神の母神である。なので、まずは母神である賀茂玉依姫命にご挨拶をすることにしたのだった。片山御子神社は、紫式部が参拝したという「縁結びの神様」だ。私は既に結婚しているので、いわゆる縁結びは必要ないわけだが恋愛以外のご縁が結ばれるといいなと思い、あるご縁をご祈願してみた。
参拝を終え、橋を渡ると楼門の前に立つ。より神域に近づいていくという気分と旅情が高まっていく。ずっと昔から、この道をたくさんの人が参拝してきたのだろうと想像する。そして私もその中の1人になれたのだなと思う。
私たちの他に数人の参拝客しかいなかったので、静かな気分でご祈願をさせていただいた。もちろん個人的な願掛けをするのだが、それと同時に、もはや願掛けよりもここに来られてよかった、という気分の方が強いような気がした。参拝を終え、妻が御朱印をいただいているのを待ち、さきほど来た道を戻って行く。先ほどまで雲が集まっていた空から、青い空が見えた。ここからまたバスに乗り、下鴨神社へ移動する。
【夏目漱石と京都の旅】正岡子規との友情を『京に着ける夕』から読み解く)


